
こんにちは。「みみずくの砦」所属占い師の舞華と申します。
今回は、私が取り扱わせていただいています、宿曜占星術のことを書かせていただこうと思います。
少し固い内容になってしまいますが、一読いただけますと幸いです。
宿曜占星術は空海となじみが深い
今回は宿曜占星術を身近に感じてもらうことが目的なので、宿曜の歴史のことや時代の背景を一緒に踏まえてお伝えしていきます。
宿曜占星術は「しゅくようせんせいじゅつ」と読みます。
現在日本に浸透している宿曜占星術は、かの有名なお坊さんである「空海」が中国に留学した際に日本に持ち帰ります。
空海は、今でいえば“カリスマ”です。
とういうのも、当時は日本の中の像侶では最澄が絶対的地位にありました。
最澄はエリート像侶で日本の推薦をもらって唐に留学に行くのです。
空海は、最澄の付き人のような形で一緒に留学することになったのです。
例えるなら、志村けんさんがドリフターズの付き人から一気にスターになったストーリーに似ています。
最澄は唐で仏教を学び、日本に帰って広めることになりました。
空海はというと、仏教よりも「真言密教」の教えに心を打たれ学びました。
この真言密教こそが、宿曜占星術の基になっています。
空海は、この真言密教を自らが直接選んだ弟子にのみ教えていき、のちに真言密教として広まっていきます。
宿曜経と空海
宿曜経は、真言密教の開祖である弘法大師空海によって広まっていきました。
空海は、天台宗の開祖である最澄とともに、奈良仏教から平安仏教への変遷に影響を与えた1人です。
空海は9世紀、遣唐使として唐へ渡り、仏具のほか、密教の経典をたくさん持ち帰ってきました。
空海が持ち帰ってきた宿曜経を日本に合うように解釈し、この解釈されたものがのちの日本の宿曜道となります。
空海の誕生日は6月15日とされていますが、この日は、中国に密教を伝えたインド人僧の「不空三蔵」の入滅の日であり、空海は不空の生まれ変わりではないかという宿曜占星術に魅せられた二人の不思議な縁を表現する言い伝えがあります。
空海は日常生活のすべてに宿曜経を使用し、弟子たちにも伝授していきました。
吉日、凶日や物事や行動の善し悪しを判断するときなどにも宿曜を使用しました。
宿曜経を使う人は「宿曜師」と呼ばれ、「陰陽師」と勢力を争うほどになり、政治にも役立ってきました。
陰陽師も宿曜師も、切磋琢磨し、暦を作成していましたが同時に、互いにライバルでもあったのです。
宿曜師の活躍エピソード
空海は、日常生活のすべてに宿曜占星術を使用しながら発見、確信していく中で、様々な秘法を弟子たちに教授していきました。
“神泉苑の雨乞い”という伝説があります。
京都の神泉苑には、龍穴(※龍穴は、異界に繋がっていて、日照りが続いても池の水は枯渇しないと言われている)があるという噂がありました。
9世紀の嵯峨天皇の時代に、京都は大干ばつに見舞われました。
その際、空海は勅命によって弟子たちと雨乞い祈祷をするように言われました。空海や弟子たちは競い合って祈祷をしました。
弟子が、空海の祈祷を妨げようと龍神たちを水瓶に封じ込めてしまいましたが、空海は、それを唯一免れたインド北部の北天竺の善女龍王を見つけることが出来ました。
空海が、祈祷すると、その水瓶は割れ、善女龍王は空へ昇り、 金色の龍となって 大雨を降らせ、都を救ったと言われています。
そのほかにも後朱雀天皇の時代に宿曜師である仁海が雨乞いの祈祷をして雨を降らせたという説もあります。
宿曜占星術の起源
宿曜占星術は「宿曜経」から由来する占星術で、「宿曜経」は、宿曜道の経典の一つです。「すくようきょう」または「しゅくようきょう」と読みます。
宿曜道は、密教の一種ですが、現代ではオリエンタル占星術などとも呼ばれます。
このオリエンタル占星術は、インド占星術に由来し、今からおよそ3000年前に発祥しています。
基は、ギリシャから伝わった西洋占星術とインドの月占星術をコラボレーションさせて発展したと言われています。
8世紀に「不空三蔵」という像侶が、中国からインドへ仏教を学びに渡った際に「宿曜経(インド占星術)」を学んできました。
それを弟子の司馬史揺や楊景風らに口述し、筆記させたと序文に記されています。
宿曜経は、正確に言うと「文殊師利菩薩及諸仙所説吉凶時日善悪宿曜経」というもので、最後の3文字を取って「宿曜経」と呼ばれるようになりました。
「文殊師利菩薩 」は「文殊菩薩」のことを指し、文殊菩薩は智慧の優れた菩薩様です。
「三人寄れば文殊の智慧」という言葉がありますが、文殊菩薩様の智慧の素晴らしさを表現しています。
「及諸仙所説吉凶時日善悪宿曜経 」とは、諸々の仙人らが集まり、文殊菩薩の智慧を授かって吉日や凶日、物事の善悪をミーティングする中で決めたという意味があります。
ここからも宿曜占星術とはどれほどの壮大なものなのかが感じ取れますね。
日本での宿曜占星術の発展の流れ
空海によって日本に広められた宿曜占星術の起源を遡っていくと、バビロニアに繋がっていくことが分かります。
バベロニアで研究された文文学は、歴史を通り、西洋の占星術となっていきます。
その西洋占星術は、最終的にはいくつかに枝分かれし、様々な西洋占星術として成長していきます。
インドに渡った西洋占星術は、のちにホロスコープ占星術となり、現代で主流になっている西洋占星術の大基になります。
インドでのオリジナル占星術としては、インド占星術というものがあり、このインド占星術を像侶・不空三蔵が中国に広めていきます。
像侶・不空三蔵が、インド占星術を“宿曜経”として完成させたのが764年の唐の時代です。
完成した宿曜経の内容は菩薩さまや仙人たちの仏教の教えというよりもインド占星術そのものでした。
空海が唐に渡って宿曜占星術を知ったのは宿曜占星術が編集され完成してから40年が経ち、不空三蔵が亡くなってから30年経っていました。
空海は漂流後の変遷から最終的に不空三蔵の直弟子であった恵果に師事して正統な後継者の証の儀式を受けることになります。
その後空海は、日本に密教を持ち帰り、宿曜経を広めていくこととなりました。
宿曜経は日本に持ち帰られたのちに、高野山や比叡山や三井寺などの密教僧の研究から更に発展し、平安時代の朝廷の庇護の元に占術を成すようにまでなっていくのです。
→ 後編に続く
今回のコラムを執筆した占い師
舞華 (まいか) 先生
鑑定料 | 1分/3000円 |
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鑑定歴 | 18年以上 |
得意な占術 | 霊感・霊視 / 波動修正 / ヒーリング / オーラ / 西洋占星術 / 宿曜占星術 |
得意な相談内容 | 恋愛全般 / 相性 / 片思い / 復縁 / 復活愛 / 略奪愛 / 複雑愛 / 同性愛 / 出会い / 縁結び・縁切り / ツインソウル / ソウルメイト / 相手の浮気 / 婚期 / 結婚 / 不倫 / W不倫 / 離婚 / ペットの気持ち / 子育て / 仕事全般 / 就職 / 転職・独立 / 職場の人間関係 / 全体運 / 時期 / 金運 / 吉方位 / 宿命 / 霊障 / トラウマ / 人生 / パワースポット |